5.1 GMOをめぐる主な理解増進活動
(1) 国内の状況
2000年頃から、遺伝子組換え作物・食品に関する理解増進活動(パンフレット作成、講演会開催など)が様々な団体によって行われてきた。近年は、わかりやすい説明が行き届き、丁寧な意見交換ができる参加体験型の実験講座などが好評であり、「遺伝子組換え農作物等に関するコミュニケーションの進め方に対する提言取りまとめ〜 次なるステージにむけて〜」4((社)農林水産先端技術産業振興センター(STAFF)、2009)にも述べられている通りである。農林水産省ではGMOの理解を進めるために、大・小規模コミュニケーションを全国展開している。市民に大きい影響力を持つメディアに正しい情報を提供するため、バイテク情報普及会はメディアを対象とした情報提供を定期的に行っている。一方、情報発信側のノウハウ伝授のため、農林水産省「遺伝子組換え生物の産業利用における安全性確保総合研究」では、コミュニケーションマニュアルが作成され、メディア戦略研修会(くらしとバイオプラザ21が担当)が開催されたりしている。コミュニケーションの視点からみると、市民への科学に関する情報提供や理解増進の手法の一つとして、サイエンスカフェが広く行われている。平成16年度版科学技術白書にイギリスの事例(市民と研究者が科学を語るコミュニケーション。カフェシアンティフィークと呼ばれる)が紹介されたことがきっかけとなり、現在は大学、企業、行政、NPOなどが毎月100近い「カフェ」を行っている5。数百名を対象としたセミナーが効率的であるとして、公的機関の研究成果発表会などが行われてきたが、一般市民の参加が得にくく、専門家の説明が難解で一方通行になりやすいことなどから、少人数で双方向性の高いコミュニケーションの実施が広まり、遺伝子組換え作物・食品も採りあげられている。
2) 海外の状況
英国ロンドンのサイエンス・ミュージアム(科学博物館)は、科学に関する常設展示施設(入場無料)であるが、こどもから大人までの幅広い層が訪れている。2009年3月に、一連の企画展示の一環として、「GMディベート企画展」が開催された(図5.1)。GMOをとりまくさまざまな課題・疑問について、賛成・反対の両方の立場から関連データや関係者へのインタビュービデオを流し、最後に入場者に投票をしてもらうといったスタイルをとっている。科学館という一般市民(子どもを含む)にとっては身近な場所において、このような企画を開催することにより、普段はGMOやバイオテクノロジーに関心の低いサイレント・マジョリティ層に対するコミュニケーションの場として有効であると思われる。
図5.1 ロンドンの「サイエンスミュージアム」における企画展
一方、オーストラリアの国立研究機関CSIRO(オーストラリア連邦科学産業研究機構) では、1993年から意志決定者向けのワークショップを開催している。ここで、意志決定者とは政治家、メディア、農家、医療関係者、高校の先生、産業界などである。ワークショップは、1日〜2日かけて開催され、遺伝子技術の基礎(DNA実験含む)から、GMOの世界情勢、豪州の規制状況、知財対応などを学ぶスタイルである。講師は、CSIROや農業・食品産業界のコミュニケーターに加えて、ポスドクも積極的に参加している。交通費・宿泊費は手当てするが、基本的にはボランティア参加である。実社会とのつながりができるので、彼らは積極的に参加するという点が、日本とはかなり異なっている。
(3) 消費者の意識
食品安全委員会が毎年行っているモニターのアンケートによると、遺伝子組換え食品への不安はおよそ8割前後であまり変化しておらず、科学的根拠に不安を抱いている人、安全性審査制度を知らない人が多く、その理由の多くは否定的な論調の報道に触れたこととなっている(http://www.fsc.go.jp/monitor/2107moni-kadaihoukoku-kekka.pdf)。わが国では、遺伝子組換え原料使用と表示された食品はほとんど店頭に並んでいない。食用油などに上乗せ表示として不分別表示を行っている生協とイオングループを除いては、「不使用表示」で他社の製品との差別化を図る企業もある。遺伝子組換え食品の安全性については、食品安全委員会をはじめいろいろな機関から情報発信をされているが、不分別表示を警告表示と認める傾向は続いており(2007年農林水産省委託事業「遺伝子組換え農作物等に関する意識調査」)、安全は説明できても安心は確保されないという消費者の発言に踏み込めない状況が続いている。一方、2004年、「遺伝子組換え作物の栽培に関する滋賀県指針」を策定した滋賀県では、市民への情報提供をセミナー、実験教室などを通じて行い、報告書「遺伝子組換え作物に関する情報提供の取り組みとその効果」の中で、2005-2006年度に実施した4回のセミナー参加者の意識が3ヶ月後に初めのレベルに戻っていないことを示している(逆J型)(hhtp://www.pref.shiga.jp/g/nosei/idenshikumikae/idenshi_minnade.html)。これは、企業が情報提供後、数か月たってフォーカスグループインタビューを行った報告とも一致しており、あらゆる場所で高頻度で情報発信する必要性が示されている。
図5.2 講演会前後・3ヶ月後の参加者アンケート
(4) これまでのコミュニケーションの問題点
GMOをめぐる従来の情報提供には次のような問題点がある。
●専門家からの一方的知識提供の限界(情報が与えられても、日ごろの選択の場面で活用できるような身に着いた知識にならない)
●コミュニケーション対象(相手=消費者など)の日常生活感覚とのかい離(専門用語によるつまずき、科学的説明だけされても実感がわかない、など)
●GMOの安全性だけを単独で論じることの限界(食の安全、人類と品種改良の歴史といった大きな視点を持てるような情報提供を通じて、その他の食の情報と記憶の中で連結し、身に着いた情報になる。意思決定時の判断材料になる)
●聴衆から信頼され、わかりやすく説明できる説明者が少ない
5.2 市民向け食体験を伴う理解増進手法の評価
NPO法人くらしとバイオプラザ21では、見学会、実験講座などの参加者の満足度が一方的な情報提供よりも高いことがわかっていた。さらに、参加体験型バイオカフェ(見学、実験、調理実習などを含むバイオ版サイエンスカフェ)において、体験を伴わないバイオカフェ(講師からスピーチと質疑応答から成る)よりも参加者の発言率が高まることがわかった(平成18年度経済産業省「バイオ事業化に伴う生命倫理問題等に関する委託事業報告書」)。また、論文を読むときにピーナッツを食べながら読んだ方が理解が進むという報告もある(Journal of Personality and Social Psychology, Vol.1. No.2, 181-186 (1965)。
「セミナー」(講師によるスピーチと質疑応答をスクール形式で行う)と、「キッチンサイエンス」(講師を含む参加者全員で調理作業を行った後、講師によるスピーチと話し合いを行う。グループごとに座り、調理したものを試食しながら行う。試食には遺伝子組換え原料不分別表示食品を使用)を行い、「セミナー」と「キッチンサイエンス」を実施する直前、直後、2ヶ月後に、アンケートを行い、遺伝子組換え作物・食品に対する意識とその変化を測定し、異なる環境(調理作業と試食の有無)による影響について検討した。会場として①全国で唯一、研究目的の遺伝子組換え作物の試験栽培を規制の対象からはずした指針を策定している滋賀県(近江八幡市安土町)、②消費者の多い都市のモデルとして東京都三鷹市、③遺伝子組換え作物の野外栽培を規制する町の条例を持つ山形県鶴岡市の三か所を選択して実施した。
図5.3 キッチンサイエンス会場風景
「セミナー」と「キッチンサイエンス」における違いは、研究者と参加者による調理の協働作業の有無、共に試食したことによる影響、参加者同士が話しやすいように配慮したレイアウトなどである。キッチンサイエンスの自由記載には、和やか雰囲気がよかった、楽しむことができたというコメントが多数みられ、キッチンサイエンスの満足度は3か所ともにセミナーよりも高かった。
図5.4 参加者の満足度比較(3カ所合計)
セミナー、キッチンサイエンス共に、イベント後によりポジティブになる傾向は3か所で共通していた。3か所のキッチンサイエンスで共通していたのは、関係者への信頼が2ヶ月後も維持またはわずかながら上昇していたことである。2か月後の意識変化では、安全、安心への意識はやや下がるものの、イベント前の値まで戻ることはなかった。三鷹市と滋賀県のキッチンセミナーでは、安全、安心などの項目で維持またはやや上昇がみられた。心理学的には、時間をおいて効果が現れる「スリーパー効果」、または不分別原料を意識して調理に用い、それを試食していることによる「合理化」が、2ヶ月後の意識に現れていると考えられる。母数が余りに少ないが、維持またはやや上昇したことはキッチンサイエンスの特徴である。以下に3か所の平均値を示す(セミナーN=81, キッチンサイエンスN=78)。
図5.5 安全だと思うか(数値が多いほど安全。3はどちらでもない)
図5.6 関係者への信頼(数値が高いほど信頼できる。3はどちらでもない)
2009年度には、農業生物試験研究所の市民参加型除草体験において、害虫抵抗性があり甘味の強いトウモロコシの収穫と試食が行われ、26名のうち23名が食べた。もとからトウモロコシが嫌いだという理由を除くと、不安で食べなかったと回答した人は1名だった。同じトウモロコシをシンジェンタジャパン(株)中央研究所神座試験サイト(静岡県)のオープンデイ(8月8日)でも、試食し、50名中48名が食べたという11。このトウモロコシ試食で不安を感じる人はほぼいなくなった。
5.3 まとめおよび考察
国内外の既存のサイエンスコミュニケーション(理解増進活動)の調査と3か所(滋賀、三鷹、鶴岡)でのセミナーとキッチンサイエンスの実施結果を基に、GMOに関する国民理解増進手法のためのキーポイントを以下にまとめる。
(1) コミュニケーション内容
・遺伝子組換え作物・食品に関する情報だけを説明しようとせず、これまで安全な食物を安定して得るために行われてきた育種(品種改良)技術の一部に遺伝子組換え技術が利用されているという視点を示す。
・遺伝子組換え技術は、育種だけでなく食品化学、毒性学など複数の科学・技術的な視点で安全性が審査されていること、世界の食料問題・人口問題など社会・経済の視点からの議論も同時に行われていることを市民に周知し理解を図る。
・遺伝子組換え原料を使った食用油や家畜用の遺伝子組換え飼料など、日本人は毎日の食生活の中において、すでにGMOを摂取しているという客観的事実を認識してもらう。
(2) 理解増進手法
・専門家や研究者による一方的な説明よりも、研究者と参加者の少人数の協働作業、参加体験型コミュニケーションのほうが、参加者が能動的に関わり、遺伝子組換え作物・食品への安全・安心の認識が高まることが期待される。
・調理や試食体験を通じて、生活に密着した具体的な事例や実物を示し、実感をもってもらう。
・見学会や調理実習など、科学・技術が苦手な人の関心を引くようなイベントにGMOに関する情報発信を織りこみ、普通の人が参加しやすい時間、場所を調べて開催する。
(3) 説明者
・遺伝子組換え作物・食品に関する有効な状況提供には、説明者の資質が重要な要素となる。それは、情報への信頼は情報源である説明者への信頼に大きく影響されるためである。説明者には、技術的な内容を正確にわかりやすく説明する能力と、聞き手の不安や疑問に応えるコミュニケーション能力の両方が求められる。
・研究者が両方の能力を備えているとは限らず、コミュニケーターやインタープリーターが介入するケースも含めた理解促進活動が求められている。
・遺伝子技術や遺伝子組換え作物・食品は、一般市民には理解しにくい部分も多い。食品の安全性と環境への影響評価についてよく理解している研究者が説明したり、企画に対してアドバイスをしたりするなど、関わることが重要である。
(4) 説明者への支援
・説明者には専門性とコミュニケーション能力の両方が求められる。適切な態度を養成するための研修やon the job training(OJT)が必要であり、参加者の理解を促すようなツールの整備や参加体験型プログラムの策定を通じて、理解増進活動の支援が必要である。
・研究者、教育者が説明者になることはもちろん望ましいが、本務の研究や教育もある。コミュニケーションの専門家による支援、コミュニケーション部署の設置などが考えられる。
印刷用PDF: 02 第5章